キュウリを切る幼児。

キュウリを切る幼児。

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弁当作りを通じて子どもたちを育てる取り組み「子どもが作る弁当の日」にかかわる大人たちが、自炊や子育てを取り巻く状況を見つめる連載コラム。「弁当の日」提唱者である弁当先生(竹下和男)が、台所で子育てをしている家族を見つめる——。

いつもより美味しいジャガイモ

人間は何万年もかけて、社会生活を持続・発展させてきました。それはつまり、周囲の人たちに喜んでもらえる存在であろうとする方向に、進化してきたということです。

家族がそろっての夕食の話です。おじいちゃんとおばあちゃん、そしてパパ、ママ、幼児のKちゃんの5人家族です。

みんなで「いただきます」を言いましたが、一番にスプーンを手にしてカレーを食べたのはおじいちゃんです。

おじいちゃんをKちゃんが食い入るように見つめています。

いつものように美味(おい)しそうに食べ始めたおじいちゃんが、「あれっ」と不思議な顔をしました。

「どうしたの?」とおばあちゃんがたずねると、 「うん。このカレーはいつものように美味しいけれど、なんかジャガイモだけがいつもより余計に美味しく思う。おばあちゃんも食べてみて」

「そんなことはないやろ」とおばあちゃん。ジャガイモだけをすくって、もぐもぐと食べ始めました。

そして、「まあっ不思議。おじいちゃんは嘘を言ってないわ。ジャガイモが特に美味しい」と大きくうなずいたのです。

「今夜のカレー作りはね、Kちゃんが手伝ってくれたの。Kちゃんは、美味しくなあれ、美味しくなあれと言いながら、ジャガイモを切ってくれたの。ね、Kちゃん?」

ママが説明すると、おじいちゃんとおばあちゃんは、大きくうなずきながら「それでか」と納得したのです。

そこでパパの登場です。 「おじいちゃんもおばあちゃんも、孫のことになると判断基準が甘くなるからなあ」 そう言いながら、パパがジャガイモを食べてみます。Kちゃんの顔がちょっと不安げです。

パパの「ほんとや。ママも食べてみて」の声に、Kちゃんは思わず立ち上がります。

「私は分かってるわよ。Kちゃんと一緒に作ったんだから」 さも当然のように一口食べて、Kちゃんをのぞき込みます。ママとKちゃんが見つめ合います。

一番最後にジャガイモを口に入れたKちゃんを、4人が見つめています。

4人が声をそろえて「美味しい?」と聞きました。 Kちゃんの笑顔が返事です。言葉は要らないのです。

お察しのとおり、ジャガイモを切ったのがKちゃんであることを、家族は前もってママから聞かされていました。人間の生きる力とは、周囲の人に喜んでもらおうとする心のありようをいうのだと思います。家族の喜ぶ顔が見たかったKちゃん、Kちゃんを喜ばせたい大人たち。そんな思いがひしひしと感じられる食卓です。

Kちゃんがジャガイモを切ったのは、この日が初めてでした。ジャガイモは球体なので転がりやすく、包丁で切る仕事を全部任せるのは危ないのです。そこで、ピーラーで皮むきして半分に切り、まな板の上に安定した状態で置いてから任せました。

さて、この日までにKちゃんは、キュウリやニンジンを切った経験がありました。Kちゃんに初めてキュウリを切らせたとき、包丁に貼りついたキュウリを取ろうとして、指を切ったことがありました。

でも、「危ないからやめなさい」とは、誰も言いませんでした。幸い傷が小さかったし、やる気に満ちていたKちゃんは、傷テープを貼って作業を続けました。1本切り終えて自信が持てたので、続けて3本切ったのです。

ある程度経験を積んでから、次にニンジンに挑戦させました。幼子は大人ほど手の筋力がないから、ニンジンの堅さが大けがの原因になることがあります。

切れ味の悪い包丁は、力任せに切る癖がつくので危険です。よく切れる子ども用の包丁を使用することや、転がりやすい形状の食材を安定した状態でまな板に置くため、切る手順を教えることも大事です。

失敗を経験した子ほど、安全・安心な調理を習得していく力が強いです。なので、「失敗をする権利を子どもに与えてほしい」といつも訴えています。

ただし失敗にも、取り返しが付くものと付かないものがあります。

取り返しがつかない失敗をさせないためには、大人側にも丸投げ(放任)をしない賢さが求められます。その賢さは、失敗経験を積んでいる大人たちが持っているものです。その後も、Kちゃんが意欲的に台所に立ち続けたことは言うまでもありません。

竹下和男(たけした・かずお)

1949年香川県出身。小学校、中学校教員、教育行政職を経て2001年度より綾南町立滝宮小学校校長として「弁当の日」を始める。定年退職後2010年度より執筆・講演活動を行っている。著書に『“弁当の日”がやってきた』(自然食通信社)、『できる!を伸ばす弁当の日』(共同通信社・編著)などがある。

#弁当の日応援プロジェクト は「弁当の日」の実践を通じて、健全な次世代育成と持続可能な社会の構築を目指しています。より多くの方に「弁当の日」の取り組みを知っていただき、一人でも多くの子どもたちに「弁当の日」を経験してほしいと考え、キッコーマン、クリナップ、クレハ、信州ハム、住友生命保険、全国農業協同組合連合会、日清オイリオグループ、ハウス食品グループ本社、雪印メグミルク、アートネイチャー、東京農業大学、グリーン・シップとともにさまざまな活動を行っています。