クラスの子ども達がつくったお弁当

クラスの子ども達がつくったお弁当

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弁当作りを通じて子どもたちを育てる取り組み「子どもが作る弁当の日」にかかわる大人たちが、自炊や子育てを取り巻く状況を見つめる連載コラム。小中学校の現場で担任1人でも始められるコース別弁当の日「イナマス方式」を実践してきたイナマス先生が、改めて大学院で弁当の日の効果を研究してみて気づいたことを伝える——。

「便利なもの」が支えている現代のくらし

2003年12月。九州のブロック紙である西日本新聞の1面の記事に目が留まりました。「食卓の向こう側 第1部第1話」。仕事の忙しさや、互いの趣味や習い事を行うために、買ってきたおかずを家族別々の時間に食べたり、夜遅くに家族でハンバーガーを食べたりする食卓における日常や、家族の健康や将来のくらしに対する不安を描いた記事。その舞台とされた福岡市西部が当時勤めていた学校の地域と重なりました。目の前にいる子どもたちの食生活はどうなのだろうか。当時5年生を担任していた私は、新聞記事を子どもたちに読ませました。子どもたちはその食事の風景に驚きつつ、食事を作ってくれている保護者への感謝を語ると共に、将来の自分の食事に対する不安も感じていました。

仕事や学業だけではなく、趣味や習い事など、現代社会は大人も子どもも忙しいくらしを送っています。それを支えているのが、さまざまな「便利なもの」でしょう。機械の進歩は、人の営みを高度に代行するレベルにまで高まり、交通とインターネットなどの社会インフラの発達と併せて、時間的、体力的な余裕を生み出しました。衣食住においても自分で作った服を着ることは稀で、自分で作った家に住むこともまずありません。食も便利になりました。飲食店は多彩で、24時間営業の店には調理をせずとも食べられるものがあふれています。「便利なもの」のおかげで、私たちのくらしは多様な活動を可能にしました。そして、自分で「つくる」ことをしなくても、生きていける時代になりました。私もこの恩恵を大いに受けています。手放すことはできません。忙しいことは、充実していることの裏返しと捉えれば、決して悪いことではないでしょう。その忙しさを可能にしている現代社会は、私たちが望んだ姿であるとも言えます。

自分のことは自分でできる事を求められる時代

確かに「便利なもの」は、これからも時代の救世主となっていくことでしょう。それならば、もっと「便利なもの」が増えていけばいいかというと、そうでもなさそうです。運動不足がさまざまな健康を阻害している中、交通が発達しても健康のためには歩いた方がいいですし、インターネットが発達してスマホが手放せなくなっても、直接コミュニケーションは人として欠かせません。では、食事はどうでしょうか。「便利なもの」を買ってきて食べる事で済ませられるでしょうか。食習慣は、その時代の文化とも密接に結びついているとも言えますが、そこには何か問題がありそうです。例えば、味付けが濃い料理や野菜が少ない料理を選ぶことで、生活習慣病のリスクを高める可能性も考えられます。

子どもたちの未来に目を向けてみましょう。現代社会は未婚(非婚)率が上昇し、平均寿命の延伸、ライフスタイルの多様化にもより、単身生活者が年々増加しています。また、人口減少などにより社会的な要請として男女ともに働く必要が広がっています。

単身生活者が増え、ジェンダーモデルの転換が求められる社会において、「自分の事は自分でできる」ようになること、食事に関して言えば料理を「つくる」ことは、男女を問わず現代社会を生き抜くライフスキルとなったと言っても過言ではないかもしれません。

料理ができるようになる必要性は、子どもたちの意識にも表れています。大人になったときの食事は、すべて買ってきたものを食べることでいいかと問うと、多くの子どもたちがそれは困ると言います。それでは、全て自分で「つくる」かと問うと、それも無理と答えます。1年で約1100回の食事を外食、中食、自炊でバランスをとっていく必要があり、そのために「便利なもの」を享受しながらも、料理を「つくる」ことができるようになることが必要だと子どもたちは気付いているようです。

しかし、自炊をして自分で料理をすれば何でもいいというわけではないでしょう。卵かけご飯も自炊ですが、それを毎日食べ続けることになると話は違ってくると思います。栄養バランスに配慮した献立を立て、それを作り続けることを身に付けることは、簡単なことではありません。

子どもたちに食事を「つくる」ことを学ばせる「弁当の日」

それでは子どもたちは、いつ自炊を学ぶのでしょうか。子どもたちのくらしを見てみましょう。「弁当の日」を始めた竹下和男先生が語るように、平日は学校で大半の時間を過ごし、帰宅後も、宿題、習い事、塾と「学びの時間」が続いています。そこにゲームなどの「遊びの時間」が加わり、子どもが家事をする「くらしの時間」は、隅っこに追いやられていることが多いのではないでしょうか。これは年齢が上がるに伴って顕著になり、「学びの時間」が大半を支配し、それを癒やすための「遊びの時間」が伴走し、保護者も子どもも「くらしの時間」には、より関心が薄くなっているのではと思われます。

そこで、「学びの時間」に、「くらしの時間」で行うことを組み込むことで、「くらしの時間」の回復を目指そうという動きが「弁当の日」の取り組みです。「弁当の日」は、子どもに自分ひとりで弁当を「つくる」事を求めます。

しかし、「弁当の日」には批判があります。家庭でやることを、学校で請け負う必要があるのか。弁当が作れなくて、学校に来られなくなる子どもがいるのではないか。仕事で忙しい保護者に対して「弁当の日」を説明することの困難さを感じることもあります。そもそも多忙化が叫ばれている学校現場に、これ以上の負担を増やすことの難しさもついてまわります。学校の現場にいると、そのどれもが考えさせられることであることは間違いありません。

それでも「弁当の日」に取り組んだのは、「弁当の日」が持つエネルギーを感じできたからです。「弁当の日」は、子どものくらしを刺激し、その子どもの姿が大人を刺激し、くらしが変わり、中には人生までも軌道修正した子どもや保護者の姿に出会ってきました。教室では、子どもたち同士で弁当を「つくる」目標が共有され、一体感が生まれました。

私が実践したクラスでは、このようなことが繰り返し起こりました。しかし、それはあくまでも個人の感覚でしかありません。なぜ「弁当の日」は効果があるのだろうか。それを明らかにしたく、私は社会人として大学院に入学し研究を行いました。調査の過程で、「弁当の日」を経験し大人になった子どもたちが語る、私も知らなかった事実に数多く出会い、改めて「弁当の日」の価値を感じることができました。詳しい研究の成果については、別の機会に譲りますが、そこで明らかにできたことは、子どもが「弁当の日」を通して、子どもたちは料理を「つくる」ことの「意味」を獲得し、大人になってもその「意味」が残されていたことでした。

私は、「弁当の日」を通して料理を「つくる」ことの実践を行う中で、「弁当の日」は子どもたちに持たせる未来への「おみやげ」ではないかと感じて取り組みを続けてきました。今回の研究を通して、子どもたちが大人になって開いた「おみやげ」の中には、「弁当の日」で獲得した「意味」がつまっていたことを確認することができました。

コロナ禍で「弁当の日」の取り組みにも困難なことが出てきました。私も以前のようには取り組むことができていません。しかし、子どもたちの時間は進んでいます。今こそ創意と工夫で、子どもを育てる「弁当の日」を、料理を「つくる」ことのライフスキル育成の場として発展させていきたいものです。

稲益義宏
 1966年生まれ。福岡市立舞鶴小学校教諭。 2006年に担任1人でも始められるコース別弁当の日「イナマス方式」を実践。教科や総合学習などを通じ、子どもたちが自分でできる食の実践力を高める学習を展開。「自分ができることしか子どもたちには伝えない」をモットーとしている。
九州大学大学院で弁当の日の効果について研究、22年3月修士論文にまとめる。07年度農林水産省「地域に根ざした食育コンクール」入賞。

#「弁当の日」応援プロジェクトは「弁当の日」の実践を通じて、健全な次世代育成と持続可能な社会の構築を目指しています。より多くの方に「弁当の日」の取り組みを知っていただき、一人でも多くの子どもたちに「弁当の日」を経験してほしいと考え、キッコーマン、クリナップ、クレハ、シジシージャパン、信州ハム、住友生命保険、全国農業協同組合連合会、東京ガス、日清オイリオグループ、ハウス食品グループ本社、丸大食品、雪印メグミルクとともにさまざまな活動を行っています。