私が作った夕食

弁当作りを通じて子どもたちを育てる取り組み「子どもが作る弁当の日」にかかわる大人たちが、自炊や子育てを取り巻く状況を見つめる連載コラム。初回は「弁当の日」提唱者である弁当先生(竹下和男)自身の体験談だ———。

「かく言う校長先生は、台所に立っていますか?」

私は10年間の校長経験があります。香川県の滝宮小学校・国分寺中学校・綾上中学校です。この言葉は国分寺中学校の女性教員から、職員会で出された質問です。言葉に全くトゲがなかったのは、「弁当の日」の意義を感じていたからでしょう。彼女は「弁当の日」に賛成でしたし、弁当作りが得意でもあったのですから。

私は「その質問の返事は明朝の職員会でします」と言って、すぐに次の議題に移ってもらいました。帰宅後、妻に尋ねると「日常的に、あなたは準備3割、片付け7割が実態」と答えました。翌朝の職員会で報告すると、約50人の教職員は「結構やってるな」というリアクションでした。このとき私は55歳でした(今は72歳。この文章を書きながら気付いたのですが、職員は10日のうち3日は私が一人で夕食を作っていると受け取ったようです。でも実際は、毎日のように献立は妻が考え、作り始め、私は途中から参加していたのです。私が夕食作りの全てをすることは5%もありませんでした)。

「弁当の日」の提唱者が「準備3割」はまずいかなと思いはじめ、帰宅後、妻に「自宅に早く帰った方が夕食を作ることにしようか」と新ルールを持ち掛けると、即座に賛同してくれました。数日後に「ちょっと早いけどクリスマスプレゼント」と包みをくれ、開けると黒いエプロンでした。11月初めのことです。

妻は町内の小学校で教務主任をしていました。教務主任というのは実質的に全教員の活動内容を取り仕切る役割で、管理職よりも多忙なのです。翌日の準備がすべて整っていないうちは帰れません。でも校長の仕事内容はそうでもありません。部下が帰宅しやすい職場を作るためにも、意図して早く帰る方がいいと先輩校長から言われたこともありました。

新ルールがスタートした初日、少し遅めに帰宅すると妻はいませんでした。約束通り、冷蔵庫の中にあるもので夕食を作りました。材料がすべて食べられるものだから、食べられないものが出来上がるはずがない、という程度の意識で作りました。「作ってくれた食事を食べるって、こんなにうれしいんやね」とニコニコ顔の妻でした。私は「明日は30分、帰宅を遅くしよう」と考えていました。

翌日、私が帰宅を30分遅くしても妻は帰っていませんでした。自分が言い出した「早く帰宅した人が夕食を作る」というルールですから、冷蔵庫の食材を確認して黒いエプロンをつけました。出来上がったころに帰宅した妻と、一緒に夕食を食べました。やっぱり妻はご機嫌でした。

その翌日、さらに30分遅くに学校を出た私は、帰路でスーパーに寄りました。自分の調理技術の稚拙さ、レパートリーの少なさでは、自宅にある食材で満足のいく夕食をつくれないことを知っていたからです。その時刻になると出来合いのお総菜は、作る時間が必要ないので、とても魅力的でした。しかも「20%値引き」とか「半額」のシールが貼ってあると、今から食べるのだから鮮度の心配は不要と、ちゅうちょなく手が伸びました。

その翌日からは学校を出る前に「今から家に帰るけど…」と妻に携帯で電話をかけることにしました。妻は決まって「まだ帰れない」の返事です。もう帰宅を遅らせる戦術は放棄です。電話をするのは妻に夕食が出来上がる時刻を予測させるためです。スーパーでは、食材を見ながら数日間を見越して買い物をしました。毎日寄るのは時間の無駄だからです。

具だくさんのみそ汁を毎日作っていました。具によっては主菜の存在感があります。私の母親がよく作ってくれた「だんご汁(すいとん)」を食べた妻が「おいしい、おかわり」と喜んでくれた時は、「一週間、ずっとだんご汁にしようか」と思うほどうれしかったです。

土日は妻が、平日は私が夕食を作るという期間が1カ月くらい続いたら、私のレパートリーも広がり、テレビ・新聞・インターネットの「かんたん料理」の情報にアンテナを張ると、季節を楽しむ余裕も生まれました。いつの間にか、帰宅前に妻に電話をかける習慣もなくなりました。「はやく帰宅した人が夕食を作る」というルールに、二人が自然になじんだということです。

こんな経験をして成長した(育てられた)私が今は、「食事作りのすべてを任されることが3割」という生活を楽しんでいます。コロナ禍で台所に立つことはさらに多くなりました。どんな大人になるか、どんな親になるか、家族とどんな食卓を囲むかを具体的にイメージできる力を、「弁当の日」で子どもたちに育んでほしいです。

竹下和男
1949年香川県出身。小学校、中学校教員、教育行政職を経て2001年度より綾南町立滝宮小学校校長として「弁当の日」を始める。定年退職後2010年度より執筆・講演活動を行っている。著書に『“弁当の日”がやってきた』(自然食通信社)、『できる!を伸ばす弁当の日』(共同通信社・編著)などがある。