弁当作りを通じて子どもたちを育てる取り組み「子どもが作る弁当の日」にかかわる大人たちが、自炊や子育てを取り巻く状況を見つめる連載コラム。「弁当の日」提唱者である弁当先生(竹下和男)が、生徒たちの調理実習について考える——。
「おいしい冷麺 ごちそうさま」
冷麺を盛ったお皿をもって、二人の男子生徒が校長室に入ってきました。見た目に涼しく彩のよい冷麺です。「今日はカメラがある」と言うと、「やったー」とガッツポーズまでとった。レシピを問うとすらすら答え、余裕の表情。心地よいすっぱさが口の中に広がり、いい茹であがりの麺。事務室のHさん、Kさんと三人で食べながら(錦糸卵・キュウリ・ハムをこんなにきれいに切って盛り付けてあるから、女の子の作品だろう)と勝手に予測していたら15分後に、「僕たちで作りました」と4人の男子がお皿を取りに来た。こんなケースは初めてだから、またパチリ。〇年〇組のみなさん、ごちそうさま。ありがとうございました。
平成〇年〇月〇日 校長室にて 竹下和男
◆
これは、中学校の通信プリント「ごちそうさま」シリーズの一つ。たぶん日本一調理実習が多かったであろう高松市立国分寺中学校(香川県)で、校長室に届いた生徒の料理へのお礼のプリントの紹介です。
私はカメラが趣味で、勤務時間中もよく撮影をしていました。被写体の中心は児童・生徒で、学校生活の記録を残すことが目的でした。
写真にはコメントを添えてアルバムにし、名簿を添えて、回覧板形式で全職員に見てもらっていました。アルバムとは別に、「校長だより」「学校だより」「ごちそうさま」の通信プリントがあったので、校内を歩いている私がカメラを携帯しているのは日常でした。カメラは一眼レフのCanon EOS-1Nで、レンズは標準・広角・望遠を使用していました。
急に校外に出かけたり、仕事の関係で校長室にカメラがないこともありました。
「ごめん、今日は校長室にカメラがない」と、何度か気の毒なことをしたことがありました。なので、撮影を楽しみにしている生徒は、カメラがあると「やったー」となるのです。
写真は、「総合的な学習」の時間に調理に取り組ませて2年目のもの。子どもが自分で作った弁当を学校に持って来る取り組み「弁当の日」を始めて3年目になっていましたから、私が調理について質問しても、生徒はすらすらと答えられました。
◆
国分寺中学校には、学校給食用の調理場がありました(2006年に第1回全国学校給食甲子園で準優勝)。大きな給食センターで作ったものを周囲の学校に配送する「センター方式」でなく、「自校調理方式」です。
今の全国の主流は「センター方式」で、財政難・経済効率からもそうなりがちです。小規模な学校ほど、施設設備費・人件費等から、「自校調理方式」は難しいのです。
国分寺中学校では900食近い給食を栄養士1人、調理員5人前後で準備してくれていました。調理中のにおいが教室に流れるのですから、アットホームな食事環境といえます。
「自校調理方式」では、授業のない校長には「検食」という仕事がありました。検食とは、言い方を変えると「毒味役」です。生徒が食べ始める時刻の30分前に食べます。それは第4校時の授業中に当たります。
検食時に異物の混入を発見したり、検食後30分以内に下痢・嘔吐・腹痛といった症状があれば、安全のために全校生徒・全職員の「いただきます」にストップをかけるのですから、大変重要な職務です。ですから、調理実習で生徒が作ってくれた料理を食べるのは、検食の責務に支障を来たさない場合のみです。
この日は午後(第5校時)の調理実習でした。夕刻からの校外勤務の準備に追われていたので、隣の事務室に助けを求めに行き、三人でいただきました。試食をすべて別の職員に任せてしまうと、私がコメントを書けなくなるので、必ず自分でも食べます。
食べた後、食器を洗って感謝のメモ用紙をお盆に添えておきます。生徒たちは調理室で食べ、片付けの作業に入ると校長室へ食器を回収に来ます。
私たちは勝手に、冷麺を作ったのは「男女の混成グループ」だと思っていました。錦糸卵・キュウリ・ハムの切り方があまりに繊細で丁寧だったからです。ごめんなさい、明らかな偏見でした。そんな予想をされているなんて知らない男子生徒たちが、揃って食器を回収に来たのです。
「ごちそうさま」のプリント配付は、第6校時後の帰りの会のタイミングです。印刷までの時間を考えると切羽詰まりますが、その日中なのか、翌日なのかで、印象が大きく変わります。早く反応した方が、「感謝の気持ち」が伝わりやすいのです。
◆
この「ごちそうさま」を読んだ生徒も教員も保護者も、いろいろと考えを巡らせます。
料理を作る「楽しさ」は、繰り返される授業の中で、男女を問わず身につけつつあること。料理を得意とすること、苦手とすることに、男女差はないということ。作った料理をみんなとおいしくいただくことは、楽しいということ。
おいしく食べてくれることは、うれしいということ。料理には、作った人の「食べる人に喜んでほしい」という気持ちがこもっていること。食材には命があるということ。無駄なく食べることが、食材を大切にすることだということ。
食材や料理や味覚の話題で盛り上がっているとき、友だちに対する理解が深まること。登下校中に目にする田畑の米・野菜・果樹の農家の人たちの想いに寄り添える自分になっていること。スーパーやコンビニの弁当や総菜の向こう側の労働がイメージできるようになること。当たり前に食べてきた、わが家の朝食や夕食がありがたいということ。
包丁さばきのうまい子は、かっこいいということ。食材によって煮える時間が違うということ、火が通るということ、味が浸み込むということ。ニンジン・キュウリ・ダイコン・カボチャ・サツマイモの硬さは同じでないということ。大きなホウレンソウ・シュンギクなどの葉物は、ゆでるとビックリするほど小さくなること。
入れすぎた塩は出汁から取り出せないし、足りない砂糖は足せること。根菜は水から、葉物は湯から茹でるということ。輪切り・半月切り・いちょう切り・短冊切り・拍子木切り・さいの目切り・みじん切り…全ては優しさだということ。
生卵をうまく割ることができるようになっただけで、不思議に自信と喜びが湧いてくること。器の形や盛り付けの仕方で、おいしさが変わる気がすること。ダイコンをスライスする道具なのに、自分の手も切れるということ。
フライパンではねた油は、お湯より熱いということ。魚には頭があり、ヒレがあり、尾があり、骨があり、内臓があり、血があるということ。牛肉も豚肉も鶏肉も、誰かがさばいてくれているということ…。
調理実習には、たくさんの学びの場面があります。調理道具の役割、食材の形状や分量、調味料の加減、郷土料理の背景、環境問題…。それは、理科や社会、国語、数学の「料理を通した体験学習」なのです。入試用の知識を多く詰め込むだけより、生活の知恵を増やしていく楽しさを身につけさせるのもいいかもしれないと思ったら、積極的に子どもと一緒に台所に立ってみませんか。
「子どもが作る弁当の日」という食育実践は、家庭・学校・地域ぐるみで、子が健やかに育つ環境づくりを、大人たちの行動力で実現しましょうという提案なのです。
竹下和男(たけした・かずお)
1949年香川県出身。小学校、中学校教員、教育行政職を経て2001年度より綾南町立滝宮小学校校長として「弁当の日」を始める。定年退職後2010年度より執筆・講演活動を行っている。著書に『“弁当の日”がやってきた』(自然食通信社)、『できる!を伸ばす弁当の日』(共同通信社・編著)などがある。
#「弁当の日」応援プロジェクト は「弁当の日」の実践を通じて、健全な次世代育成と持続可能な社会の構築を目指しています。より多くの方に「弁当の日」の取り組みを知っていただき、一人でも多くの子どもたちに「弁当の日」を経験してほしいと考え、キッコーマン、クリナップ、クレハ、信州ハム、住友生命保険、全国農業協同組合連合会、日清オイリオグループ、ハウス食品グループ本社、雪印メグミルク、アートネイチャー、東京農業大学、グリーン・シップとともにさまざまな活動を行っています。