弁当作りを通じて子どもたちを育てる取り組み「子どもが作る弁当の日」にかかわる大人たちが、自炊や子育てを取り巻く状況を見つめる連載コラム。今回は「弁当の日」提唱者である弁当先生(竹下和男)が、ヤングケアラーについて考える———。

「オレな、ときどき親が死んでくれたら・・・と考えることがあるんや」

私が中学生のころ、同級生のYにこう言われてドキッとしたことがあります。

「オレな、ときどき親が死んでくれたら・・・と考えることがあるんや。不幸に負けない孝行息子の映画を観たり話を聞いたりすると、オレやって、同じことになったらできる自信がある。そしたら近所の人から孝行息子って言ってもらえるんや」

映画や小説で、不幸を背負った主人公や孝行息子がもてはやされた時代です。「不遇な主人公」や「孝行息子」に憧れるあまり、親に死んでほしいと願うなんて。でも、実は私も同じことを考えたことがありました。私は他言することは不謹慎な気がして、その時は「ふーん」と返事をしただけでした。

 それはもう60年近く前のことです。松山善三監督の「名もなく貧しく美しく」(1961)や浦山桐郎監督の「キューポラのある街」(1962)がヒットした時代でした。

国民の多くが普通に貧しく、そして中・低所得層の家庭にとっての憧れの「三種の神器」は電気洗濯機、白黒テレビ、冷蔵庫でした。わが家にはどれもありませんでした。家事労働は現金収入になりませんから、任せられる家事は「わが子」にやらせて、親は現金収入になる労働に励んでいました。

1960年に池田勇人首相が10年間で国民所得倍増計画を掲げました。実際はそれ以上の実績を上げ、のちに高度経済成長期と呼ばれる時代になりました。やがて電気炊飯器や電気掃除機も急速に普及していくと、家事労働にかける時間は激減していきました。

令和の現在は、留守中に床掃除をしてくれるロボット掃除機があり、スイッチ一つで浴槽に湯が張れます。多様なデザイン・色彩の既製服は安価に買えるし、洗濯は全自動で、天候に左右されずに乾燥までしてくれます。湯を注ぐだけのインスタント食品、電子レンジでチンするだけのおいしい冷凍食品の種類も豊富です。
かつては子ども頼みだった「家事労働」そのものが、大きく軽減されました。

 ところが、こんな便利な社会になったのに、近年明らかになったのが「ヤングケアラー」の存在です。

ヤングケアラーとは、家事に加えて、親や祖父母、きょうだいの介護・ケア、身の回りの世話を担う18歳未満の子どものことです。政府の調べ(「ヤングケアラーの実態に関する調査研究」令和3年3月)では、中学生の5.7%、高校生の4.1%が、「世話をしている家族がいる」と答えていることが分かりました。

一部の子どもは、学校生活に支障をきたし、進学や就職を断念し、子どもの将来を左右するほどの影響を与えていました。本人はそんな生活を当たり前に思っていることが多く、自身がヤングケアラーだという自覚のないまま、すでに大人になってしまったケースもありました。しかも、こうした環境は、世代間連鎖もしやすいのでしょう。

家族の食事の準備はもちろん、洗濯、掃除、弟妹の保育園の送迎、祖父母の介護や見守り。家族なら当たり前だと思って、少年期や思春期に、こうしたことを多くし過ぎると、人生の大きな負の遺産になりえる。大人になってから、統合失調症の発症のようなかたちで現れるというのです。心身の不調の原因が、「子どものころヤングケアラーだったこと」に起因しているようだと診断された人の叫びを、社会全体でしっかりと受け止めなければ、と思いました。

 少年期は「こどもの時間」を大切にすべきだと思っています。
親(大人)の庇護のもと、安全・安心な環境下で、興味・関心の赴くままに五感を育てて、コミュニケーション能力を育んでいくべき時期なのです。

私は講演・執筆活動を通して、子どもの健やかな心身の成長には「3つの時間」が重要だと訴えてきました。「くらしの時間」「あそびの時間」「まなびの時間」です。

3つの時間

「こどもの時間」とは、そっくりそのまま「あそびの時間」です。定義は「年齢の違う仲間たちと群れになって屋外で、大人のいないところで遊ぶ時間」。一昔前でいえば、平日の放課後や休日の時間です。でも現代では、これが「塾・スポーツクラブ・習い事の時間」になりました。こうした時間は、「くらしの時間」だけでなく、学校の「まなびの時間」さえも浸食するほどです。

ヤングケアラーとは、「あそびの時間」が介護やケアなどの半強制的な「家事労働の時間」に置き換わることによって、「あそびの時間」に獲得されるべき経験や知識、能力や心情を獲得できない状況といえそうです。「家事労働」は、子どもが自立するために必要な力をつけてくれる役割を担っていますが、度が過ぎて、子どもの未来を損なう要因になってはいけません。

 さて、愚かなYと私が、密かに「孝行息子」を夢見ていた1960年当時、日本の男性の平均寿命は約65歳、女性は約70歳。平均通りなら、二人が60歳の定年退職のころ、互いの両親は亡くなっているはずでした。

しかし、私の父は36年前に当時の平均寿命だけは生き、介護を必要とすることはほとんどなく他界しました。母は100歳にあと3カ月のとき、養護老人ホームで逝きました。Yの父も同様で、母親は間もなく100歳を養護老人ホームで迎えようとしています。

だからYも私も、親の介護やケアを十分に行えず、孝行息子になれませんでした。それどころかYも私も、孫育てまで父母にしてもらいましたから、親の死を願った一瞬があるというだけでも罰当たりな親不孝者です。

現代の豊かで平和な日本社会の弱点が、この2年間の新型コロナ禍であぶり出されました。砂上の楼閣が傾いた混乱に思えます。基礎が脆弱なうえに、戦後70年以上かけて築いた楼閣そのものにも無理があったということです。

まずできることは、現在のヤングケアラーを支援すること、そしてヤングケアラーの再生産を減らすことの二つ。そのために、自分のできる活動を地道に継続していくことです。

Yも私もまだ健康で、平均余命まであと13年以上あります。健康寿命を延ばしつつ、ヤングケアラーにケアを押し付けない社会を作るためにできる活動をし、日本社会にとって本当の孝行息子といわれる存在でありたいものです。

竹下和男
1949年香川県出身。小学校、中学校教員、教育行政職を経て2001年度より綾南町立滝宮小学校校長として「弁当の日」を始める。定年退職後2010年度より執筆・講演活動を行っている。著書に『“弁当の日”がやってきた』(自然食通信社)、『できる!を伸ばす弁当の日』(共同通信社・編著)などがある。

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