作りは88回手をかけて・・・

弁当作りを通じて子どもたちを育てる取り組み「子どもが作る弁当の日」にかかわる大人たちが、自炊や子育てを取り巻く状況を見つめる連載コラム。今回は「弁当の日」提唱者である弁当先生(竹下和男)の幼少時の思い出から———。

「父ちゃんらはお腹が空いていないから、子どもらだけで食べな」

それはどこかの法要に、父母が出かけた日のことだったのだろう。
親戚付き合いや法要の多い田舎社会のことだ。年に1、2回はあったかもしれない。
1950年代の頃の話なので、父母ともに、すでに他界している。

法要の日、私たち兄弟5人が待っていると、ちょっと遅い昼時にそろって帰ってきた父母は、それぞれに“2段重ねの折り詰め弁当”を提げていた。

上段のふたからはみ出しているのは、焼き魚のタイの尻尾。ふたが反り返っているのは、大きなかまぼこや卵焼き、てんぷらが押し込められているからだ。めったに食べられないごちそうがいっぱい詰め込まれている。
下段は巻きずし、いなりずし、赤飯で、ご飯類だけでも、十分にハレのごちそうだ。

ところが、おかしなことに、上段も下段もごちそうで埋め尽くされていて、食べたらできるはずの“すき間”がない。父のそれにも、母のそれにもだ。ということは、二人とも一品も食べていないことになる。
取り皿を準備している5人が、「待ってました」とばかりに食べ始める様子を見ながら、父母はニコニコしていた。

私は5人兄弟の末っ子だ。
「父ちゃん、母ちゃん、一緒に食べよう」と私が声をかけたときだ。
「父ちゃんらはお腹が空いていないから、子どもらだけで食べな」という答えが返ってきた。
おぼろげながら、同じやり取りを何度かした記憶がある。
私の4人の姉兄が声をかけていなかったのは、すでにこのやり取りを経験済みだったのだろうと、今は思う。

このやり取りを通して私が思ったのは、「大人になればお腹が空かなくなる」ということだった。
そういえば訪問先で、父母に供せられたお菓子や果物を、私に譲ってくれた経験は何度もあった。
成長すると、食べる容量もいっぱいになって、食欲がなくなるのだろう、と変な納得をした私は、自分もいずれ、成長したらお腹が空かなくなると思い込んだ。

ところが、5、6年後の中学2年生の時だ。
軟式テニス部の練習に打ち込んでいた時、何度も激しい空腹感に襲われた。
その時突然、「父ちゃんらはお腹が空いていないから、子どもらだけで食べな」というのは噓だったのだと気が付いた。
それまでの私は、「親がわが子に嘘をつく」ということは考えもしなかった。「嘘をつく」ことは、地獄で閻魔(えんま)様に舌を抜かれることだと思っていたからだ。でもさすがに、少年期から思春期に成長していく過程で、「嘘も方便」の場面を経験していた。

では、なぜ嘘をついたのか。
そのことに思いを巡らせると、「子どもに食べさせたいからだ」という考えに至った。
私は愕然とした。テニスコートで「ああ、あの両親には逆らえない」と呟いて、子を思う親の気持ちの強さと温かさ、ありがたさを思い知ったのだった。

若者から年配者までが参加していたある会合で、「自分の親が空腹をガマンして、子どもの自分に食べ物を与えてくれた」という経験をしたことのある人はいますか、と尋ねたことがある。
年齢を重ねている人ほど多かった。
その親というのはおそらく、戦中・戦後の貧しい時代を生きてきた人たちだ。

「じゃあ、もう一回質問させてください。これを食べたら子どもや夫(妻)の分がなくなるからと、空腹をガマンした経験が、この1年であった人は手を挙げてください」。
この質問に手を上げる人は皆無だった。

間違いなく日本社会は、戦後75年間で、物質的に豊かな社会を築いてきた。
その初期の貧しかった時代を生きた、私くらいの年齢の人たちは、「貧しい環境に適応した生き方を身に付けた大人たちの世間」から何かを感じ取り、学んでいた。でも、そのことを親から直接教えてもらったという記憶がないから、大人になるとき、おのずと身につくものだと思っていた。
それは、今どきの若者たちの前にある「豊かな環境に適応した生き方をしている大人たちの世間」からは、感じ取れない“何か”だ。

父は逝き、母が高齢になり、竹下家の代表で、私が法要に参加するようになって、気づいた。
供応のお膳は“2段重ねの折り詰め”ではなく、賞状用の大きな額縁サイズのプラスチック製のお膳になっていた。そして、それとは別に、かけうどんが振る舞われた。
多くの参加者は、お膳を持ち帰ることにして、“おかわり”もできる、うどんをたらふく食べる。参加者がお膳に手を付けずに帰路についてくれれば、主催者も、法要の後片付けが楽になる。

だとしたら、あの時の父母は、2杯、3杯とかけうどんを急いで食べてから、昼ご飯を待ちわびている子らのいる家を目指していたのかもしれない。そうだとするならば、「お腹は空いていないから」というのは、嘘ではなかったことになる。

このことが分かったあと、父母への感謝の気持ちがなくなったかというと、そうではない。
その当時、すでに私は50歳を過ぎ、2人の子どもは巣立っていた。
私の父母は、うどんを“おかわり”しながら、2段重ねの折り詰めを、手つかずで5人の子どもたちに持って帰ることができる幸せに浸っていたのだろう、と思いうれしくなった。

手つかずのお膳を待ち焦がれている子のいない私は、2杯のかけうどんを食べ、お吸い物や茶わん蒸しなどの持ち帰れないおかずをその場でいただき、お膳の風呂敷を手に持って帰路に就いた。

竹下和男

1949年香川県出身。小学校、中学校教員、教育行政職を経て2001年度より綾南町立滝宮小学校校長として「弁当の日」を始める。定年退職後2010年度より執筆・講演活動を行っている。著書に『“弁当の日”がやってきた』(自然食通信社)、『できる!を伸ばす弁当の日』(共同通信社・編著)などがある。

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