弁当作りを通じて子どもたちを育てる取り組み「子どもが作る弁当の日」にかかわる大人たちが、自炊や子育てを取り巻く状況を見つめる連載コラム。第2回目はノンフィクションライターの城戸久枝が、母としての思いをつづる。
「ぼく、家庭科得意だから、はやく調理実習したいんだよ!」
息子が小学5年生になり、家庭科の授業が始まった。はじめての調理実習が近付いてきたとき、息子が言った。
「ぼく、家庭科得意だから、はやく調理実習したいんだよ!」
家庭科が得意? 初耳だ。でも、なんだかいい感じ。
「そうなのね。家庭科得意なんだ!! かっこいいじゃん!!」
そう言うと、息子もうれしそうに、そして照れたように、笑った。
ところが……息子が楽しみにしていた調理実習は、残念ながらコロナの影響で中止になってしまった。 がっかりする息子を励ましながら、ふと、思う。
いつの間に、彼は家庭科が得意になったのだろう……と。
私には、家庭科の授業で、ちょっぴり苦い思い出があった。
小学校高学年の調理実習で1分以内に包丁できゅうりを何枚切れるかというテストがあった。みんなが次々に合格していくなか、私の切ったキュウリを家庭科の先生が持ち上げると、きゅうり一本が、見事につながっていた。もちろん、不合格。それをクラスのみんなに見られたことが、はずかしくてたまらなかった。
子どものころから不器用だった私は、女の子は女の子らしく、料理や裁縫がうまくできないといけない、と言われることをどこか窮屈に感じていた。台所に立つことなど全くなく、お手伝いもほとんどしなかった。
大人になったいまも、まだその苦手意識は消えていない。
ただ、結婚して、子どもが生まれて、その考えが少し変わった。家族のために料理を作ることを苦痛に思ったことは、不思議となかった。息子も夫も、いつも「おかあちゃんの料理、おいしいね」と、ごはんを食べてくれる。その笑顔が私の自信につながっていったように思う。
映画『弁当の日 「めんどくさい」は幸せへの近道』の撮影に参加したときに、自分の弁当を楽しそうに見せ合う子どもたちの姿を見て思った。あれ? 私も料理をもっと楽しめばよかったのではないかと……。そして、自分にはできなかった経験を、当時小学3年生の息子にしてほしいと思うようになった。
息子を台所に立たせてみる。本人の気が向いたとき、簡単なものから、少しずつ。でもやっぱり危なっかしくて、思わず手が出てしまいそうになる。「これはあぶないからやってあげるね」と、息子の包丁を取り上げてしまうことも少なくなかった。4年生になると、一人でできることが増えていった。遠足などの弁当は全て、息子が作るようになった。レパートリーは、おにぎりとたまご焼き、それからウインナーを焼くことくらい。でも、息子は、楽しそうに台所に立っていた。
そして5年生の今。息子は「料理が得意」という。
先週末、学校の行事で、日帰りの体験学習があった。
もちろん、弁当は息子が自分で作ると決めている。今回のテーマは「担任の先生の顔弁当」。メインのおかずは、大好きなチーズインハンバーグだ。
お気に入りのレストランの味を再現しようという計画らしい。
ハンバーグはちょっと手間がかかるので、前日に作ることにした。さすがに息子一人で作るのは大変だろうと手伝おうとすると、「おかあちゃん、全部ぼくがやるから、手を出さないで!」ときっぱり。なんだか、ずいぶんたくましくなった。ネットでレシピを確認しながら、チーズインハンバーグ、無事息子一人で作り上げた。
翌朝は6時に起きて、定番のたまご焼きづくり。そして、大きな先生の顔おにぎりにとりかかる。自作のイラストを参考に鼻歌を歌いながら、のりを切って、おにぎりにはりつけて。時計を見ながら、あと何分、まだ時間がある、と、順調に仕上げていく。
二日かけて、息子が思い描いていたとおりの「先生の顔弁当」が完成した。
台所に立つ息子の後ろ姿を見ながら、改めて彼の「料理が得意」という言葉を思い出す。そもそも、「得意」って、どういうことなのだろう。高度な技術で上手にきれいに料理を作れるのが「料理が得意」というのだろうか。いや…。キラキラした表情で、嬉しそうに弁当を作る息子の姿を見ていると、ただ、シンプルに料理を作るのが好きだということで、十分なのではないかと思えてくる。
自分が得意だと思い込むことって、結構大事なのだ。
小学5年生もあと少し。まだ、調理実習は始まらない。
でもね、「家庭科が得意!」っていう気持ちはずっと持っていてほしいなあ。
それがお母ちゃんの、小さな願いだ。
城戸久枝(きど・ひさえ)
1976年、愛媛県松山市生まれ。『あの戦争から遠く離れて 私につながる歴史をたどる旅』(新潮文庫) で大宅壮一ノンフィクション賞、講談社ノンフィク ション賞を受賞。ドキュメンタリー映画「弁当の日」の撮影に密着したルポルタージュ『子どもが作る弁当の日 めんどくさいは幸せへの近道』(文芸春秋)がある。